「コンプレックス・エイジ」はなぜ否定されるのか
先月下旬頃からTLでちょくちょく話題になっている「コンプレックス・エイジ」webコミックがある。
http://www.moae.jp/comic/complexage
僕も読んだ。ちょうど同時期に書いていたSSに通じるところもあって、かれこれ五周くらいはした。
さてこの作品、TL上では否定的な論調が多い。炎上しているとまではいかないが、身も蓋もない書き方をすると「顔を真っ赤にしちゃって怒ってる人」が多数いるようだ。
正直なところ、そういった「なんだこの漫画は、けしからん!」という意見は、作品の性質上出てくるのは仕方ないけれど、あまりにも感情のままに激怒してる人が多くて見るに耐えない。
一つ一つに反証を書くのは難しいことではないけれど、この記事では僕なりに本作品を解説していこうと思う。
主人公がゴスロリを捨てる理由とは?
おそらくここが一番勘違いされていて、かつ趣味者からの反感を買っているところだろう。
つまり、「この主人公は第三者から自分の趣味を否定されて逃げに走っている敗北者だ。ふざけるな、趣味者に喧嘩売っているのか」というわけだ。
が、この作品において主人公がゴスロリを「卒業」する理由になっているのはそこではない。積み重なったものにはなったとしても、自分でも「他者から色眼鏡で見られる」ことを自覚している以上は踏ん切りとなるきっかけには成り得ない。
最大の理由は「家に帰り、姿見と向かい合った瞬間に見てしまった『老いた自分』」である。
彼女は「一生お姫さまだと思っていた、ゴスロリを着込んで魔法にかかっているはずの姿」が「35歳間近の、お姫さまでもなんでもない老けた女」であることに気づき、絶望し、崩れ落ちる。そして決意をするのである。
これは衣装を火にかける際のセリフからも明らか。
長い間楽園を彷徨った憐れな少女は 鏡の向こうに真実を視る
主人公は、「他者からのいい歳して……というレッテル貼り」に敗北したのではなく、「幼い頃憧れていたお姫さま像と、自分の姿とのギャップ」に敗北した、と言った方が正しいだろう。
理想と現実の間での葛藤、老いていくのを自覚していく中で、かつての理想像にコンプレックスを抱える世代……コンプレックス・エイジといったところか。
「自分が一生お姫さまではない」ということを鏡を見て自覚してしまった以上、主人公が取れる選択肢は二つしかない。「鏡を叩き壊し、自分自身に魔法という暗示を掛け続ける」か「自分は裸の王様だと叫び、魔法の服を脱ぎ捨て燃やす」か。
ゴスロリから大人向けのゴシック系にシフトする、というのは主人公のお姫さま像とは相容れないため不可能に近い。お姫さまになれないなら魔法の服を着る必要はないのだから。
旦那という救済装置
もう一つ女性陣から批判されているのが、「家事もしないダメ夫は主人公を追い詰めるための舞台装置」という話。
正直、「新人賞取った作品に何重箱の隅つついちゃってるんですか」で済む話ではあるのだけど。
舞台装置に見えてしまうのは作者の技量不足に起因することだと思う。ただ夫がいるというのは主人公にゴスロリを捨てさせるためというよりは、主人公への救済措置に近いものがあると思う。
この二つは重なりあっていて、読者の立ち位置によって判断が変わってくる。「主人公は旦那がいるからゴスロリにしがみつく必要がなかった」という話と、「旦那が甘ちゃんのダメな奴で主人公がゴスロリを捨てる遠因になった」という話は、抱く感想は別物だが結論は一緒である。
彼女の衣装部屋を見れば分かるとおり、主人公の中でゴスロリという趣味はかなり大きな割合を占めている。それを捨てるとなれば、「鉄道模型を嫁に捨てられた男」のように何も残らない可能性が無いではない。
しかし主人公は自分で選択して趣味を捨てて、旦那はそれを理解して「何着たってオレのお姫さま」と許容する。嫁に趣味を理解されずに勝手に趣味を捨てられ、それ以来心に穴が空き何も持たなくなった男とは異なる点がそこで、この理解者の存在はある意味でこの作品最大のファンタジーでもある。*1
コンプレックス・エイジはクリエイターへの踏み絵である
何周か読んで感じたこととしては、おそらくこの作者ゴスロリに対する知識があまりない。調べてはいるけどおそらくは僕と同等ぐらい。
だからこれは、ゴスロリの皮を被った創作者への踏み絵なのだと思う。
作者の年齢は26ということなので、「このまま漫画を書き続けるのか」「漫画家の夢を捨てて所謂普通の生活に戻るか」という自身の葛藤をゴスロリに置き換えて描いた作品なのではないか、というのが僕の感想。
だからクリエイター(だいたい20代後半以上ぐらいの)が読むと、結構突き刺さってしまう人がいるようだ。ボカロPとかワナビとか、その辺の作ってるけどあまりお金になっていない層。
ネットの発達で作品が供給過多になりつつあるこの時代に、どこで自分の理想像と折り合いをつけていくのか。そういう意味で、この作品は作者が同胞に突きつけた自爆テロに近いものを僕は感じた。
自分の趣味に自信をもってください
僕は正直、この作品を叩いてる人を見るのが悲しい。
それはこの作品が大好きだから……とかではなく、趣味に固執してる自分を否定されたくなくて顔真っ赤にしてキレてる人が多いからだ。
先述したようにこの話、趣味をすてる話としては少々作りが甘い。だから、この作品を叩いている人はそんなカッカしないで、もっと自分の趣味を誇ってください。自分の人生を一緒に生きてきた趣味に、もっと自信を持ってあげてください。
僕はクリエイターの端くれです。小さい頃から空想が好きで、数年前のある日にこの夢と心中しようと決めました。
この作品を読んで心を折られるような覚悟なら、そんな夢は捨ててしまった方がいい。いつか何も作れなくなる日は来るはずだけれど、その時にいい夢だったと言えるように。